鎌倉時代の後期正中元年(1324)、日蓮聖人の孫弟子日像菩薩が北陸方面に布教の折、この地に立ち寄り、現在地の北西300mの地点に一乗寺を建立。
その後戦火より消失天文元年(1532)当地の城主小足掃部頭常昌公が願主となり、私財を投げ打ち、京都妙顕寺の鐘華院日廣上人を招請し、この地に諸堂を建立し、寺号も小足山常昌寺と改め、その後幾度かの火難を経て文政11年(1828)二十世一地院日生上人により諸堂を整備。
その後、明治29年(1896)7月6日不慮の火災により本堂庫裏全て焼失。
その後、二十六世日晴上人始め檀信徒一同苦難の23年間を経て大正8年(1919)10月12日本堂並びに諸堂、庫裡等再建入佛した。
この寺の歴史的背景、建立経緯から推察する限り、当時の戦国時代当時北近江を治めた浅井長政公の三姉妹からであるお初様の嫁ぎ先である、京極家の侍頭であった小掃部頭常昌公が願主となったことより、旧浅井家、京極家とゆかりの深い寺院といえます。
本寺の歴史的経緯から地元の檀家の皆様に対して、日蓮宗の教義に基づき檀家、信者の皆様のご先祖の魂の供養、日常の檀家の家族の皆様に対する法事、供養、本来お寺が果たすべき社会的な責任があることには、今も変わりありません。
しかし、時代の流れに従い、お寺が社会的に担う社会的責任も今まで以上に広くなって来ていることも事実です。常昌寺に勤める僧侶が果たす役割として、常に地元地域社会の為に、地元の人々の為に役立つ組織としてお寺が機能することが必要だと考えます。
常昌寺がこれから地域社会に果たす大きな役割として、このお寺を人を育てる場所にしたいと考えています。またこのお寺が人と人の出会いの場所、人と人が心から交流できる皆様の心の故郷のような、心のつながりが生まれる場所にしたいと思います。
上記の趣旨を踏まえた上で、今回老朽化した常昌寺の庫裡の建替新築を検討しております。具体的な新築計画の概要については、檀家の皆様のご意見お考えに十分に耳を傾けながら進めてまいりたいと思っております。
このために、新しい庫裡には、お寺の檀家様との応接間及び書院、勉強会、その他の檀家の皆様の趣味の集い、例えば生け花教室、手芸教室、笑い文字教室等に使って頂ける教室を設置したいと考えます。この教室は、目的によって会議室、勉強室に使用できる多目的ホールの性格を合わせ持っています。
特に力を入れたいと思うことは、昔のお寺にありました寺子屋としての機能です。昔はこのお寺の寺子屋で、子供達に読み書きそろばんを教えました。
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